あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

毒虫になった男の話(『変身』フランツ・カフカ)

ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫になっているのを発見した。

 この有名な出だしから始まる小説はフランツ・カフカの『変身』です。

 

冒頭の一文にあるように、ある朝起きたら、自分の姿が巨大な虫になっていたという男の話です。変身するのが虫ではないにしても、急に自分の姿が別の何かに変わってしまった、という小説は今では数え切れないほどあると思います。

 

  『変身』が書かれた当時はどうだったかはわかりませんが、この小説の奇妙さは別のところにあります。

 ある日突然虫になっていた、というのはフィクションではよくあること(笑)ですが、「変身」の主人公であるグレーゴル・ザムザは、この状況が夢じゃないかと疑ったり、なぜ自分が虫に変わっているのかの原因を考えたりはしないのです。それどころか「やれやれ」といった様子で仕事に行く準備を始めるのです。まるでそれは「風邪で今日は体調が悪いけど頑張って仕事に行こう」程度の出来事のように扱われています。

 また、「巨大な虫になっていた」ではなく「発見した」という言い回しには、どことなくその異様な状況に対する冷静さが感じられます。

 

 ザムザが変身した虫の姿に関する描写は意外と少なく、

 ・背中には硬い甲羅

 ・複数の細い足

 ・湾曲にふくらんだ腹

と、ゴキブリのような姿をしているようです。

 

 そのような姿で仕事ができるか(しかも、ザムザの仕事は外交販売員という接客業なのです)という疑問もありますが、ザムザは仰向けの体勢から簡単に起き上がることすらできません。

 

 やがて、母親や妹がザムザを起こしにやって来るのですが、幸運なことに昨晩寝る前に部屋の鍵を閉めていたため、すぐにその姿を見られることはありませんでした。 

 

 だからといって、ずっと部屋にこもっていても事態は解決しません。やがて、すっかり変わりはてたザムザの姿を知った彼の家族、そしてザムザ自身はどうなるのかは、実際にこの小説を読んでからのお楽しみです。

 

 『変身』に限らずカフカの小説全般に共通する感想になるのですが、物語内で発生する数々の奇妙な出来事は、どれもその世界では綺麗に完結しているように思われます。しかし、ふと冷静なり、その物語を俯瞰して考えた時、前提となる論理そのものがどこか間違っていることに気づくのです。

 

 この不思議な物語の最後が妙に明るく前向きな描写で終わっているのは、カフカが語るように「執筆に十分な時間を取れなかった」という理由だけではないような気がします。作中で登場人物の誰もが考えることすらしなかった、「グレーゴル・ザムザが虫になった理由」を、カフカは読者に委ねたのでしょうか、それとも、実存主義的に理由など必要ないと考えていたのでしょうか。

 

 どちらにせよ、これが「実存主義文学」と呼ばれる所以であり、執筆された当時の歴史的な出来事である第一次世界大戦やその犠牲に対するカフカのメッセージが込められているのかもしれません。