あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

真の冒険家の話(『緑の扉』O・ヘンリ)

  「緑の扉」はO・ヘンリ作の13ページ(新潮文庫 O・ヘンリ短編集(一) 大久保康雄訳より )の短編で、「真の冒険家」ルドルフ・スナイダーの物語です。

 

 冒険家とは言っても、大海原を航海するでもなければ、人類未踏の地へ行くわけでもありません。彼の冒険の舞台はとある市街です。明記されてませんが、同短編集に収録されている話と同じく、ニューヨークマンハッタンと考えて良いでしょう。

 

 では、「真の冒険家」とは一体何なのか。物語は次のように始まります。

 

 かりに君が夕食のあと葉巻を一本ふかすのに十分間を割りあて、そのあいだ、気晴らしになるような悲劇でも見ようか、それとも寄席で何かまじめなものでも見ようかと迷いながら、ブロードウェイを歩いているとしよう。とつぜん誰かの手がきみの腕にふれる。きみはふりむいて、ダイヤモンドを光らせ、ロシア産の黒貂の毛皮を着飾ったすあらしい美人の、ぞくぞくするような瞳をのぞきこむ。彼女は、いそいできみの手のなかに、やけどするほど熱いバター・ロールパンを押しつけ、小さな鋏をきらりととり出して、きみのオーバーの二番目のボタンを切りとり、意味ありげに、たった一言、「平行四辺形!」と叫んで、不安そうに肩ごしにふりかえりながら、横町を飛ぶように走り去る。

 

 さっぱり意味がわからない...実際にこのような事態に出くわしたとしたら、僕ならどうするだろう。周りの目を気にしながら、切り取られたボタンをどうしたものかと顔を俯かせるに違いありません。ゆっくり息を吐いて自分が置かれた状況を冷静に分析することでしょう。そして、自分の手の中にある熱々のロールパンの存在に気づいては、これをどうしたものかと周りを見渡すことだと思います。ロールパンへの対応が終わっても、何か頭につっかかるものがあることでしょう。さっきの美人の「平行四辺形!」という叫びはそう簡単に頭から離れることはなさそうです。

 

 O・ヘンリに言わせると、「純粋な冒険心をまだうしなっていない幸福な少数者」の場合は違うそうです。手渡されたロールパンを美味しく食べ出すとでも言うのでしょうか。ここからは真の冒険家ルドルフ・スナイダーのケースです。

 

 ある晩いつものように冒険を求めて街をうろついていた(一体彼は何をしているんだ...)ルドルフは、アフリカ人のチラシ配りが気づかないほど巧妙に彼の手にチラシを渡していたことに気づきます。その技術に半ば呆れ、関心した彼はそのチラシのカードを見ると片面に「緑の扉」と書かれていました。

 

 このカードを不思議に思った冒険家ルドルフは自然な風を装って、次は自らさっき自分の手にチラシを滑り込ませたチラシ配りからカードを貰いに道を引き返します。そのカードにはやはり「緑の扉」と書かれていました。ルドルフと同様に、チラシ配りの巧みな技術によってカードを知らぬ間に渡された他の通行人たちはみんな、道にカードを投げ捨てていきます。ルドルフはそれを拾って確かめてみます。どれも不思議なことに歯医者の広告だったのです。

 

 冒険家の彼はすぐに理解しました。彼は今、あのチラシ配りから試されているということを。そして、辺りを見回し、冒険の匂いがする建物を見つけました。それは5階建の建物でした。外からその建物を観察した後、彼は建物に足を踏み入れました。なんと、(あるいは必然的にというべきか)冒険家ルドルフは緑色の扉を見つけたのです。

 

 彼はその部屋を力強くノックしました。はたして中には誰かいるのだろうか。何度もゆっくりとそのドアを叩いていると、やがて静かにそのドアが開きました。

 

 この後のありふれた?展開については語らないことにしておきます。この物語はルドルフ・スナイダーの「冒険心」が全てですから。

 

 なんでも無い出来事を「冒険」と呼べるのは素晴らしいことだと思います。そして、日常で誰もが経験するようなことを非現実的に描いた小説は本当に面白いです。この「緑の扉」には、昔国語の教科書で読んだ梶井基次郎の「檸檬」という短編小説を読んだときと同じ感覚があります。

 

 とりあえず、街で配られるチラシを注意して読んでみることにしよう。