あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

良薬と毒薬(『海と毒薬』遠藤周作)

 第二次世界大戦末期の、九州大学付属病院で米軍捕虜を実験材料とした生体解剖事件を題材にした小説です。

 小説中では匿名で書かれていますが、夢野久作の『ドグラ・マグラ』の舞台でもありますね。

 

 戦時中、実際に起きた悲惨な事件を題材としているものの、その内容はフィクションとのこと。

 

 毎日のように空襲が人々を襲い、自分がいつまで生きていられるのかさえもわからないという状況下で起きた、極めて残酷な事件を取り扱った小説です。しかし、その根底には、日本人に共通する事柄が書かれているように見えます。

 

 教授と助教授、三人の助手と看護婦(本文の書き方に合わせています)らによって行われた生体解剖実験。そのうち三人の事件当時の状況や心情が、物語の中盤から最後にかけて独白形式で語られます。 二人は医学生の助手、一人は看護婦という立場でした。

 

 中でも、勝呂(すぐろ)と戸田という、二人の医学生の心情が対象的に描かれています。勝呂は患者を大事に思う心優しき青年です。生体解剖実験に対して、その背徳感を抱きながらも教授たちからの圧力に逆らう事ができず、現場に立ち会うことになってしまうのでした。

 一方で、戸田は人の痛みや苦しみに対して同情や共感といったことができない人間でした。さらには、子供の頃から罪悪感を持たず、悪いことをしてもバレなければ問題ないと考えているのです。

 生体解剖実験に対しても、患者の生死に興味を持たず、今後の医療の発展に役立つということだけが彼の頭の中にはありました。

 

 残酷な事件に関わった三人の、生体解剖に至るまでの経緯や心情の違いに深く考えさせられます。

 

 もし自分が勝呂医師の立場だとしたら、果たして断ることはできたでしょうか。彼が味わった、目標のためならば個を捨てるべきとでも言うかのような圧力は、第二次世界大戦とも通じるのではないかと思われます。ニュースに取り上げられることの多い、会社の不祥事の類も同じです。

  

 私の知識不足もありますが、物語中では聞き慣れない薬品名や医学用語がいくつか登場します。知らない人からすれば、どれが良薬でどれが毒薬かなんてわかりません。

 良薬も用法・用量を守らなければ毒薬となるように、その境界はとても曖昧な気がします。

 そしてその思想は、独白を描かれた一見普通の三人の人物に投影されているのです。

 

 遠藤周作さんの小説を読むのは、この『海と毒薬』が初めてでした。勝呂医師のその後が気になって仕方がないので、続編の『悲しみの歌』も読んでみようと思っています。