あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

インコデトックス(『肩の上の秘書』星新一)

星新一『ボッコちゃん』(新潮文庫)収録のショートショートです。

 

あらすじ

セールスマン・ゼーム氏は、夕方会社に戻る前に、もう一軒飛び入り営業に行くことにしました。
彼の右肩には美しい翼を持ったインコがとまっています。肩の上にインコをとめているのはゼーム氏だけではなく、この時代のすべての人は肩にインコを乗せています。

 

玄関のドアを開き、主婦が応対しました。

 

「こんにちは」とゼーム氏が小さく呟くと、

「おいそがしいところを、とつぜんおじゃまして、申し訳ございません。お許しいただきたいと思います」と彼の肩の上のインコははっきりとした口調で喋り出します。

 

インコは生き物ではなくロボットなのです。持ち主が呟いた事をインコは理解し、より詳しく丁寧な言葉遣いで代弁してくれます。

 

ゼーム氏のインコが流暢にセールストークをしても、相手の主婦のインコが上手な返答でかわしてきます。結局、飛び入り営業は上手くいきませんでした。

 

会社に戻ったゼーム氏は、営業成績について上司に説教された後、ロッカーにインコをしまい、退社します。

 

ゼーム氏はバーに寄って帰ることにしました。肩の上にインコを乗せたバーのマダムと話す。ゼーム氏にとって、このひとときが一番の楽しみです。

 

科学の進歩の代償

星新一の多くのショートショートで、科学の進歩により便利な発明、製品が登場することによって人間が退化したり、振り回される様が描かれます。
「肩の上の秘書」もまさにそうであり、一見便利ではありますが、その便利さによって何か精神的に縛られているようにも見えます。


ゼーム氏が仕事終わりに寄ったバーのマダムも肩の上にインコを乗せています。それでも「ゼーム氏に取っては、このひとときが、いちばんたのしい」という最後の一文は、マダムは肩の上にインコを乗せていることへの皮肉であり、それを承知した上でのゼーム氏の本心なのだと思います。

 

インコ無しで過ごしたいけれど、インコを使わなければならない状況。インコと上手く付き合っていくしか方法はないのでしょうか。

 

 デジタルデトックス
デジタルデトックスという言葉を最近よく耳にします。
日本デジタルデトックスのホームページによると、「一定期間スマートフォンやパソコンなどのデジタルデバイスとの距離を置くことでストレスを軽減し、現実世界でのコミュニケーションや、自然とのつながりにフォーカスする取り組み」とのことです。

 

digitaldetox.jp

 

スマホやPCを全く使わない生活が最善かどうかはわかりませんが、周りの皆が使っている以上、一人だけ使わずにずっと生活することは簡単なことではないでしょう。

 

肩の上の秘書の最後のシーンのように、デジタルデトックスを少し意識して過ごしてみたいと思います。

 

スマホもPCもほどほどに、ということで今回は終わります。 

 

↓ 星新一の他の作品

 

okserver.hateblo.jp

 

 

okserver.hateblo.jp

 

 

okserver.hateblo.jp

 

意外と難しいゲーム(『Ong Ong』Blur)

youtu.be

ブラーのアルバム『ザ・マジック・ウィップ』収録の曲です。

タイトルのONGというワードには"Oh my God"の意味もあるらしいですが、Hong Kong のHとKを取っただけとのこと。
歌詞も呑気にボートに乗る描写と"I wanna be with you"というフレーズが繰り返されます。


MVでは昔のマリオとカービィを足して2で割ったようなゲームが流れます。
理由は分かりませんが、黄色い丸(主人公)が攫われた?恋人ピンクの丸を助けに行くストーリーです。
MVのエンドロールによるとどうやら二人はMR.OKとMS.OKという名前で本人出演のようです(笑)。

 

突然目の前で恋人が姿を消したにしては、Mr.OKは非常に落ち着いていて、冒険中も常にニコニコしています。

 

MVの冒険の途中には4人ボスが待ち構えています。しかもなんと、ブラーのメンバーたちがボスキャラクターたちを演じています。エンドロールのシーンでソフトクリームの格好をしてはしゃぐデーモン・アルバーンは、見ているこちらも楽しくなります。


恋人を助けにいく、というテーマはベタではありますが個人的には好きなテーマでもあります。ねじまき鳥クロニクルや羊を巡る冒険などの村上春樹作品がそれに当たります。村上作品では、恋人の失踪の理由は少しモヤモヤすることが多いですが。

 

恋人やヒロインを救いに行く、というのはマリオシリーズのピーチ姫のようなゲームの世界の方が向いているのかもしれません。

 


のんびりと明るい雰囲気ながらも、新たな出発を後押しするような一曲です。

砂の流れに身をまかせる(『砂の女』安部公房)

安部公房の代表作、『砂の女』(新潮文庫)。

 

昆虫採集のためにとある海辺の砂丘に訪れた主人公が、女一人が住む、大きな砂穴の中の家に閉じ込められるという話です。主人公は必死で逃げ出そうと試行錯誤するもののことごとく失敗します。

 

せっせと砂かきをして砂穴から這い出そうとする、部落住民に対して女を人質に取る、

女が寝ている間に長いロープをカウボーイのように手繰って穴の外に引っ掛けて脱出しようとするなど、様々な方法を試みます。

 

砂穴の中に閉じ込められ、女との共同生活を送るという非現実的なシチュエーションの中で、考えつく限りの現実的な方法で脱出を試みるところにこの作品の奇妙さがあります。

 

 また、この作品の重要なテーマの一つに「郷土愛」があると考えています。

 

厳しい環境や人口の減少など、砂丘の部落の置かれた状況はお世辞にも良いとは言えません。しかし、砂丘の部落の人々は、旅行者を砂穴に閉じ込めるという罪を犯してまでも、その土地に留まることにこだわっているように見えます。

 

そんな郷土愛の中には環境への慣れや、個人差はあれど人間の変化を嫌う特性も要素として含まれているのではないでしょうか。

 

国全体としての効率や個人の生活の利便性などを考えると、一局集中とまではいきませんが、人や機能を主要都市に集中させる方が効率的にも思えてしまいます。それはそれで、少し悲しい気持ちにもなりますが。


『星の王子様』に登場する、街灯と点火夫の話を思い出しました。王子様が訪れたある小さな星には街灯一つと点火夫一人がいるだけでした。点火夫は「命令」に従い、朝になると街灯を消し夜になると街灯を灯します。

 

この仕事にはある問題がありました。その小さな星の自転速度は年々早くなり、今では一分間で朝と夜が入れ替わるようになってしまったのです。街灯夫の仕事内容は変わらないため、彼にはゆっくりと休む時間などありません。彼を取り巻く環境の変化にじわじわと首を絞められているのです。



安部公房作品の不条理さからは、作者の都会的な合理性が不思議と感じられます。今日でも色褪せない日本文学史上の傑作です。

 

愛と麻薬の違い(『スキャナー・ダークリー』フィリップ・K・ディック)

ハヤカワ文庫出版のフィリップ・K・ディックの長編SF小説。表紙の画像は旧版のものです。

 

ディックの最高傑作とも呼ばれるこの小説では、ドラッグに溺れる人々と彼らを監視する麻薬捜査官たちが描かれています。

 

この小説の特殊なところは、ドラッグに溺れる人(ボブ・アークター)と、彼を監視する捜査官(フレッド)が同人物であることです。

 

主人公ボブ・アークター(フレッド)は、妻と離婚し、幼い二人の娘たちとも別れ、ドナという若いドラッグ密売人に密かな恋心を抱きながら、ドラッグに溺れる毎日を過ごしています。

 

そんなボブ・アークターのもう一つの顔は、フレッドという名のおとり捜査官なのです。市場に急速に流通している「物質D」という安価で強力な麻薬の供給源をつきとめるため、職務上やむをえずそのドラッグを購入し、服用しながらその流通ルートを調べます。

 

そんな彼も物質Dによって身体は蝕まれ、さらには自分自身を監視するという異様なシチュエーションに置かれたため、ふたつの人格の区別がつかなくなっていきます。

 

この小説は、ディック自身の経験を元に書かれている部分が多いらしく、ドラッグによって自らの身を滅ぼし、人生を台無しにしてしまう人々を描いています。

 

フレッドが、何時間先送りにしても同じ会話が続いている場面や、その場で会話していた誰もが5と2を足し合わせることしかできず(5+2)、5と2を掛け合わせること(5×2)など思いつかないシーンが印象的でした。

 

 

最後はお約束、ディック作品の主要テーマでもある、フレッド=ボブ・アークターはどちらの自分が本物なのか、そもそも自分は何者なのかという問題にぶつかります。

 

ドラッグソングについて

スキャナー・ダークリー」の内容とは少し外れるのですが、ビートルズローリングストーンズ、ピンク・フロイドなどなど数多くのミュージシャンたちがドラッグソングを歌うのには、どういう意図があるのでしょうか。

 

全ての生き物がそうなのかもしれませんが、少なくとも人間は、自分が好きなものを語り、歌にする生き物なのかもしれません。ミュージシャンがラブソングを歌い、聞き手がそれに共感するのと同じ感覚なのではないでしょうか。

 

その一方で、目を背けていたいようなテーマは音楽よりも小説や映画に向いている気がします。

 

 

歌にも小説にもされる、ドラッグをテーマにしたこの作品。最後のシーンは、作者の実体験からなのか、それとも... 

物事の境界線がぼんやりと薄れ、徐々に足元が不安定になる感覚。 名作です。

サプリみたいなうた(『いたちごっこ』チャットモンチー)

 

 youtu.be

 

MVやメロディとは対照的にトゲのある歌詞。上京ソング「東京ハチミツオーケストラ」の続編にあたる曲だと思っています。

 

純粋で希望と不安が入り混じった「東京ハチミツオーケストラ」と比べて、東京の暮らしにも慣れ、若干の諦めのようなものが混じっています。かつての夢も叶い、今の生活に不満もないはずだが、それでも何か物足りない、といった感じです。

 

うたいたいうたがなくなっていくのがこわいだけなんだよ

 

歌を歌うわけではなくとも、この歌詞には強く共感できます。

毎日が忙しくなるにつれ、目の前のことしか考えられなくなり、好きなことに対する興味も薄れていってしまうのではないかという不安があります。

 

止まれない街 ここ東京

帰れないふり ここ東京

 

「 止まれない街」と言いながら、最後には「帰れないふり」と付け加えています。本気で帰ろうと思えば帰ることはできる。自分が延々と「いたちごっこ」を続けていることを東京のせいにしながら、それなりに満足した毎日を過ごしていくのも悪くはなさそうです。

 

タイトルの「いたちごっこ」という言葉が持つ、埒があかない、きりがないという意味。気づいたら1年が終わっていた、なんてことにならないよう適度に新しいことにチャレンジするつもりです。まさに「サプリみたいなうた」です。