あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

目的を探す旅(『或る「小倉日記」伝』松本清張)

 松本清張の短編集『或る「小倉日記」伝』(新潮文庫)の表題作であり、芥川賞受賞作です。

 北九州の小倉(こくら)を舞台に、主人公である田上(たがみ)耕作が、森鴎外が小倉に住んでいた3年間を記した「小倉日記」を探し求めた一生を描いた小説です。タイトル中に「」(かっこ)が使われる小説は珍しいですね。

 

登場人物とあらすじ 

◆田上耕作:

主人公。学校の成績は優秀であったが、体の一部が麻痺していてうまく動かすことができず、うまく喋ることも苦手な青年。そのせいもあり、知らない人からみると木偶の坊に見られる。父親を幼くして失い、母・ふじに女ひとりで育てられる。成人してからは多くの仕事につくも、身体的に障害があることも原因で続かない。ふじの内職と家賃収入で貧くも生計を立てる。

◆江南:

耕作の生涯中ただ一人の親友。文学青年で、耕作に森鴎外を教える。

 

 ある日、森鴎外全集が出版される。しかし、「小倉日記」という、森鴎外が3年間北九州の小倉に赴任していたときの日記が見つからないとのこと。

 小倉日記を補完することこそ自分の使命なのではないかと思った田上耕作は、森鴎外にゆかりのある人を探し、ゆかりのある場所をめぐる。途中で何度も「自分のしていることに意味はあるのか」という疑問にぶつかりながらも江南や母ふじの励ましを受け、探索を続ける。

 しかし、戦後の貧しい時代であることも重なって、耕作の体もしだいに弱っていき、寝たきりの生活になってしまう。彼の手元には、膨大な量の彼が集めた「小倉日記」がある。
 彼にはまだ、自分の体が良くなる、という確信があった。治った後のことを空想しては楽しんでいるように見える。耕作は息をひきとった。

 翌年、東京で鴎外の一族が「小倉日記」の原本を発見する。田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない。

 

感想

この小説は、やはり最後の一文に尽きると思います。

彼が一生をかけて探し求めた「小倉日記」が東京に眠っていたという事実を生前知らなかったこと、果たして、彼の一生は幸せと言えるのか。

 

本人にしか分からない、と言ってしまえば話はそれでおしまいですが、彼の一生はきっと幸福であり、「小倉日記」の原本が発見されたことに対して、心から喜ぶことができるのではないでしょうか。

 

なぜかと言うと、小倉日記が発見されることが目的でありながらも、次第にその探索作業自体が生きがいと感じるようになったのだと考えるからです。

 

就職活動などで使われる性格診断の、「結果とプロセスのどちらを重視するか?」という質問を思い出しました。私は結果が大事だと答えることにしてはいますが、結果のためにはプロセスが必要であり、その逆も然り、そもそもそれらは相反するものではないと考えています。

 

テレビに出るようなすべての成功者に対して、つよがりでも嫉妬でもなく、自分もそう生きたいとは思いません。しかし、彼のような生き方には憧れを感じます。