あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

ハッピーエンドのその後(『トイ・ストーリー4』)

7月12日上映の「トイ・ストーリー4」を観ました。前作「トイ・ストーリー3」が完璧なほど綺麗な終わり方でしたので、どうやって前作のハードルを超えて(またはくぐって)行くのか、楽しみな中での鑑賞でした。

 

【以下映画の内容に触れるため注意!!】

 

あらすじ

おもちゃの世界を舞台に描くピクサー・アニメーションの大ヒットシリーズ「トイ・ストーリー」の第4作。ウッディたちの新しい持ち主となった女の子ボニーは、幼稚園の工作で作ったフォーキーを家に持ち帰る。ボニーの今一番のお気に入りであるフォーキーを仲間たちに快く紹介するウッディだったが、フォークやモールでできたフォーキーは自分を「ゴミ」だと認識し、ゴミ箱に捨てられようとボニーのもとを逃げ出してしまう。フォーキーを連れ戻しに行ったウッディは、その帰り道に通りがかったアンティークショップで、かつての仲間であるボー・ピープのランプを発見する。一方、なかなか戻ってこないウッディとフォーキーを心配したバズたちも2人の捜索に乗り出すが……

トイ・ストーリー4 : 作品情報 - 映画.com

 

上記あらすじだけを読むと、いつもの「トイ・ストーリー」シリーズのように、ウッディが持ち主の一番のお気に入りであり、みんなのまとめ役であるかのように見えます。

 

しかし、今のウッディ達の持ち主はアンディではなくボニーです。ボニーもおもちゃを大事にする良い子ではあります。しかしアンディの時と違い、ボニーにとってウッディは彼女のおもちゃの一つであり、特別なおもちゃではないのでした。ボニーの遊びに「選ばれない」日も多くなっていました。

 

 

ウッディの成長、あるいは価値観の変化

これまでの「トイ・ストーリー」シリーズを通してのウッディの考えは「おもちゃの役割は子供を喜ばせること」、「自分はアンディのおもちゃである」というものでした。

 

本作でウッディは、その価値観に正面から向き合うことになります。

過去作品においても、ジェシーや3の敵役・ロッツォなど、様々な理由で持ち主から見捨てられたおもちゃたちと出会ってきました。

そして本作では、1・2の時とは見違えるほどたくましくなったボーとの再会が、ウッディにとってのおもちゃの幸せ、自分の幸せについて考えるきっかけになったに違いありません。

 

自分は持ち主の一番のお気に入りではないということ、一方で自分がボニーを守らないといけないという使命感からか、物語序盤〜中盤にかけてのウッディは違うキャラクターのように感じられました。フォーキーに固執する様子も、ウッディが取る行動は今までと変わらないにしても、多少違和感がありました。

 

ウッディがそのように悩む一方で、本作の敵役であるギャビー・ギャビーは、「子供から愛される」という従来のおもちゃの幸せを追い求めます。

 

現実世界のように、本作の世界でも、従来と新しい価値観とが入り交じっているように感じられます。気づけば今やウッディ達は、アンティークショップに置かれるほどに古いおもちゃでもあるのです。

 

ウッディの決断と内なる声(inner voice)

本作では「内なる声(inner voice)」という言葉が印象に残っています。物語中盤のウッディとバズの会話で出てきた言葉で、本作では、困ったことがあるとバズは「内なる声」(胸についている音声ボタン)に助けを求めます。

 

同じくディズニーの名作「ピノキオ」に登場するコオロギのキャラクターであるジミニー・クリケットを思い出しました。ジミニーは、ピノキオに命を授けた妖精から、ピノキオの良心(conscience)の役割を与えられました。ここでいう良心というのは、ピノキオに善悪(客観的にわかりやすいもの)を教えてあげる役割でした。

 

トイ・ストーリー4でウッディが突きつけられる選択は、「内なる声」に聞いてみたところで、それが本当に正しいかどうかは誰にも分からない問題です。それは善悪の区別でもなければ、同じ人にとっても決断を行う時期によって答えが変わり得るものです。

 

感想

トイ・ストーリー4」の評判は賛否両論分かれそうですが、個人的には良かった、そしてよくやった、と思います。2と3で薄々と感じつつも目をそらしてきた「おもちゃの幸せ」という問題についにウッディを向き合わせたことが凄いと感じました。

 

この場では書きませんが、最後の結末には100%納得はできませんし、「トイ・ストーリー」シリーズに対して何を求めるかによって、ラストシーンに対する好き嫌いはあると思います。