あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

PLANET OF THE BIRDS(『鳥人大系』手塚治虫)

 手塚治虫の長編漫画です。全19章の短編が合わさって一つの大きな物語になっています。角川文庫出版の文庫本サイズのものを持っているのですが、10匹の鳥の絵が描かれている表紙からは、ディストピアな内容であることなど想像もつきません。

 

 とあるきっかけで、かつて人類が火を発明し文明を築き上げたように、鳥たちが火を扱うようになるところから物語は始まります。それは鳥たちが人間、そして地球を支配する予兆でした。

 鳥たちは、人類が作り出してきたあらゆる武器ももろともしないほどの圧倒的な「数」、彼らが手に入れた「知能」を駆使して、人間に対して反乱を起こします。

 

 鳥たちが持つ残虐性は相当のものでした。人間を焼き鳥にしたり、鳥かごに入れたり...といった描写が印象的です。

 

 数百年も時が過ぎ、気づけば鳥たちはかつての人間たちのように衣服をまとい二足歩行で歩くようになっていました。人間たちは知能も衰え、鳥たちにはペットや家畜のように扱われていました。だからといって、人間が持つ牙が折れることはありません。いつの時代にも抵抗者は現れるもので、人間と鳥人の戦いが続いていきます。

 

 鳥たちもかつての人間と同じ道を辿る、という示唆が物語のところどころでされています。

 鳥たちは食肉部族と食草部族に分かれています。
食肉部族はかつては小鳥を食べていた種族でしたが、鳥たちが支配者となった今では鳥が鳥を食べるということは禁じられています。それでも獣や虫だけではどうしても物足りない。やはり同類の肉を食べたいという欲求を誰もが持っていました。


 鳥たちの後に、地球の支配者となるのは一体誰なのか...

 

 「火の鳥」と同じような世界観を持つこの作品は、ヒッチコックの「鳥」のような意思を持たないモンスターではなく、「猿の惑星」のような人類を支配する存在を描いています。そしてこの作品の面白さは、その支配者が持つ脆さを同時に描いているところにあります。

 

 また、物語の各所で、話と脈絡なく登場するリアルで不気味な鳥のイラストが、この作品の異様さを醸し出しています。

 

 ディストピアものが好きな方はきっと楽しめるであろう一冊です。

ポスト2045年問題(『過渡期の混乱』星新一)

 「さまざまな迷路」(新潮文庫)収録のショートショートです。タイトルからも分かるように、何か新しいものが生まれることで生じる、人々の混乱の様子を描いています。

 

いつのころからか、街頭にキャンディー売りロボットがあらわれるようになった。

 という書き出しでこの物語は始まります。キャンディー売りというものを私は見たことはないのですが、舞台はおそらく未来の話です。このロボットの姿についての描写はほとんどありません。わかるのは、愛嬌があって人型をしているということだけです。星新一らしいですね。

 ある日、パトロールをしていた警察官が、キャンディー売りをしているのがロボットだとは気づかず、禁止されている場所で商売をしているということで罰金を取り立ててしまいます。ロボットは文句も言わず、すぐにその警察官に罰金を支払います。

 罰金を取り立てた後になって初めて、キャンディー売りがロボットだったということを知ります。だからと言って、ロボットには禁止地域で商売をすることを認めるという決まりなどありません。上司に相談をした結果、ロボットの持ち主にあたってみるべきだ、という話になりました。

 翌日、警察官はロボットを探し出し、持ち主が誰かを訪ねました。ところがロボットは、「所有者などいない」と答えたのです。
 これは困ったことだ。だからと言って、所有者がいないから責任はどこにもない、なんてことにはできません。

 税金関係の役所はどうにかして税金の取り立て先を考えます。
いったい責任はどこにあるのか?ロボット自身、ロボットの製造メーカー、仕入れ先のキャンディー会社などなど。

 また、キャンディー売りが持っている現金狙いで、ロボットが破壊されてしまうという事件が起こることもありました。やはりこのときもどういう対処がなされるか決まっていませんでした。

 

 やがて、ロボットに人権が与えられるようになると、賢い人たちはどう立ち回るのでしょうか。彼らにはロボットには真似しようのないあるものを持っています。

ずるさという、人間だけの持つ天与の能力。これある限り、ロボットなど恐るるにたらずだ。 

 

 「2045年問題」や「AIに奪われる職業ランキング」なんてものがありますし、その他多くの星新一作品(というよりかはSF全般)でも意思を持ったコンピュータの言いなりになる未来が数多く描かれています。そんな中で、この『過渡期の混乱』はある意味では希望のようでもあります。この作品が発表された当時の背景も気になるところです。

 

 計算機や車のように、人間の役に立つための道具はこれからも作られていくことは間違いありません。しかし、果たして人間は、自分たちよりもはるかにすぐれた、「完全なる上位互換」の存在を許すことができるのでしょうか。それともこの物語の結末にもある「ずるさ」というものが人工的に作り出される日が来るのかどうか...

 

 理屈ではない何か別の理由で、AIというものの進歩の前に壁が立ちはだかる、なんてこともあるのかもしれません。

 

↓ 星新一他の作品

 

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転がる石のように(『堕落論』坂口安吾)

 『堕落論』(集英社文庫)の表題作。裏表紙の紹介では

生きよ、墜ちよ。生の現実から目をそむけず、肯定せよ。堕ちることのほかに真に人間を救い得る道はない、と説く。

と書かれています。

 書店には、のんびり、あるがままに、とかフリーランスでもやっていけるよう自己啓発していきましょうといった、いわゆる啓発本や生き方についての本は多く目にしますが、「堕落する必要がある」なんて主張する本などめったにないのではないでしょうか。

 

 この作品が書かれた当時の社会の様子や日本文学の情勢についてはあまり詳しくありません。この作品で描かれる戦後の日本の状況は、私が持っていたイメージとは違いました。私がよく読んでいた小松左京手塚治虫のエッセイや漫画では、戦争が終わり初めて自由を手にし、希望で満ち溢れていた、ということが書かれていたからです。

 たしかに「堕落論」においてもこんな記述があります。

終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由ではあり得ない。

 

悲観的で、達観しています。


 全文を通して「堕落」というテーマに沿って書いているというよりかは、筆者が当時の世の中に対する自分の主張を書きたい放題書いている、という印象を受けました。それでもこの作品に秘められた力強さ、そして筆者の主張がひしひしと伝わってきました。

 それにしてもなぜ「堕落」という言葉を選んだのでしょうか。ありのまま、自然体などのポジティブな意味を持つ言葉ではだめだったのか。念のため「堕落」を辞書で調べてみましたが、やはりネガティブな意味しか持っていないようです。

 

  堕落の意味がどうであれ、やはり落ち抜くためにも勇気がいるものですね。たしかに、良くも悪くも自分の中である程度のところで制御が働くのはわかります。 しかし、一度正しく堕ちきることによって、気づかないうちに縛られていた過去の思想や固定概念から抜け出し、本当の自分自身を見つけることができる、と筆者は主張しています。

 

 読んでいてとても面白かったのですが、頭の中でうまくまとまらない...きっと本作品で使われる「堕落」という言葉の意味が完全には読み取れていないのだと思います。

続編である「続堕落論」では「堕落」についてもう少し詳しい補足がなされていました。「続堕落論」についても、そのうちじっくり考えてみたいと思います。

簡単そうで難しい問題(『恐竜のほかに、大きくなったら何になりたい?』レイ・ブラッドベリ)

「恐竜物語」レイ・ブラッドベリ新潮文庫)に収録されている短編小説です。それにしても、何て素晴らしいタイトルなんでしょう(笑)

 

 主人公のベンジャミン・スポールディングは恐竜が大好きな12歳の少年です。
友達に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれると、迷わず「恐竜」と答えるほどです。

 彼のおじいちゃん、スポールディング氏はベンジャミン少年を博物館や、教会で牧師さんが恐竜の話をしてくれるときにはそこに連れて行ってくれました。

 牧師さんからこんなことを聞きました。「一生懸命願うことで、望んだものになることができる」と。

 家に帰ると、ベンジャミン少年は遥か昔の怪物たちが登場する本や、恐竜に関する本を読み漁るようになりました。

 それ以来、彼の周りでは徐々に、奇妙な出来事が起こり始めたのです...


 これは、ごく普通の、少年の成長の物語です。短い物語の中で、彼が大人になっていく様子がわかります。

 ベンジャミンは「大きくなったら何になりたい?」という質問を、物語を通して3回されますが、どれも答えは違います。

 

 たとえそれが何であれ、この質問に即答できるのは凄いことだと思います。少なくとも私にはその答えはわからなかったし、だからと言って適当に答えることもできなかったからです。

 

  

解なしという答え(『冷たい方程式』トム・ゴドウィン)

  「冷たい方程式」トム・ゴドウィン他 (ハヤカワ文庫)に収録されている短編小説。その異様なタイトル通り、宇宙船で展開されるなんとも悲しく、残酷な物語です。

 

 一人用の宇宙船に一人のパイロットが乗っているはずでした。彼は熱病で苦しむ6人の仲間を救うため、血清を運んでいる最中でした。彼が乗っている小さな宇宙船には、目的地に着くためのぎりぎりの燃料しか積まれていませんでした。燃料は無駄の無いように計算されて積まれていました。少しでも宇宙船がより道をしたり、速度を落としたりしただけで、目的地に着く前に燃料が底を尽きてしまうほどです。
 

 そんな背景もあり、EDS(パイロットが乗っている宇宙船の名前)に関して以下の法があります。

EDS内で発見された密航者は、発見と同時にただちに艇外に遺棄する

 そして、宇宙船の出発後、船内にある探知機によって、密航者が見つかったのです。

パイロットが、隠れている場所から出てくるよう命令すると、密航者はすんなりと姿を現しました。

 

 その正体は若い娘でした。

 

 彼女は兄に会うために、その船に乗り込んだというのです。彼女は密航がバレたとしても罰金を払う程度で済むつもりでいました。まさか宇宙空間に放棄される規則があるなんて思ってなかったのです。

 パイロットは彼女に、燃料はギリギリしか積まれていないこと、彼女が乗ったままでは血清を待つ6人を救うことができないことを説明します。
 パイロットはせめての情けとして、彼女が兄と通話できるよう取り計らいました。通信が切れた後、彼女はエアロックの中へ歩いて行きました。

 

 物語後半の「冷たい方程式は満足され、彼は艇のなかでたったひとりになったのだ」 というフレーズが印象的です。

 

 どうにかして彼女を救うことはできないものかと、多くの人がそのパズルに挑戦したそうです。その挑戦者の多さから、「方程式もの」というジャンルができるほどです。

 

 『これからの「正義」の話をしよう』だったと記憶していますが、この短編は倫理学における、功利主義と関連してこの短編が紹介されていました。「トロッコの問題」という思考実験があります。これは、暴走したトロッコがレールを走っていて、このままだと5人の人間にぶつかってしまう。しかし、あなたが一人の男を突き落としトロッコに轢かせることで5人が救われるとしたらどうするでしょう、という問題です。

 

 「冷たい方程式」では「トロッコ問題」のような板挟みの状況というよりかは、彼女を救う手段があるのかどうか、というところに焦点があるのだと思います。最初から、方程式のように両辺が成り立つような解を求めること自体叶わないことなのかもしれません。

 

 密航者が美しい娘でなかったら...娘を救うという選択肢がより多くの命を救うことに繋がるとしたら...
 少し条件が変わるだけでも物語は大きく変わってしまいそうですね。