あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

マクスウェルの天使(『ユービック』フィリップ・K・ディック)

 ハヤカワ文庫出版のフィリップ・K・ディックの長編SF小説

 

 この物語は、ディック作品お馴染みの予知能力者(プレコグ)やテレパシー能力者といった超能力者サイドと、それらをを打ち消す力を持つ不活性者たちの対立が続いている時代の話です。

 そして、この小説における重要なポイントとして「半生命状態」があります。これは死者の肉体を冷凍保存し精神を維持させることで、生者との会話を可能とする状態です。

 反能力者を使って超能力を使った悪事対策を行うランシター率いる11人の不活性者たちが超能力者たちを倒すべく、月へ向かいます。ここから超能力バトルが始まるのか、と思いきや、到着して早々に、ランシター一向は爆発に巻き込まれてしまいます。敵方の罠に違いありませんでした。この爆発のせいで、ランシターは命を落としてしまいました。ジョーたちはランシターの亡骸を運び月から引き返します。

 

 そして、ここからがここからが物語の本当の始まりであると言えます。

 この事故をきっかけに、地球で奇妙な現象が起こり始めます。あらゆる物が古くなっていくのです。お金や新聞が何十年も前のものになったり、自分の写真が赤ちゃんの頃になったりと、あらゆるものが昔のものに形を変えていくのです。さらには、月から帰還した不活性者たちはが次々と原因不明の死を迎えていきます。

 

 やがてジョーは、時間の退行現象を防ぐための唯一の特効薬”ユービック”の存在を知るのです。爆発で死んだはずのランシターから、いろんな形でメッセージが届きます。

ジョーがいるこの世界は現実か、それとも幻想か?そして”ユービック”の正体とは一体何なのでしょうか...?

 

 ディックの長編作品には、物語の中盤から話の方針や前提といったものが一転してしまうものが多くあります。そのほかにも現実と架空の世界とが入れ替わってしまうことはもはや定番の出来事です。「ユービック」も例のごとく、「時間退行」が始まる前と後では話の趣旨が全くと言っていいほど違っています。

 

 退行現象が進み、あらゆるものが古くなっていく描写からダリの「記憶の固執」を連想しました。世界がその構造さえもふにゃふにゃになって溶けていくイメージです。

 溶けていかないためには自分の輪郭を正しく知ること、つまり、自分がいる世界を再認識することが必要であると考えています。そして、「世界の再認識=ユービック」を表すのではないでしょうか。

 

 本書解説にある「ユービックは反エントロピーを表す」という記載には(反エントロピーとは正しい言葉なのかどうかはわかりませんが)なるほど、と納得させられました。

 

 最後に、各章のコマーシャル風の文章が個人的に気に入っています。「ユービック」という一見一貫性のない傑作小説を無理やり一つの物語に繋ぎ止めているようにも感じられます。