あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

Life Is an Open Door(『掟の門』フランツ・カフカ)

 『カフカ短編集』(岩波文庫)に収録されている短編です。たった4ページの物語ですが、寓意性が高く様々な解釈ができます。

 

 あらすじは以下になります。

 掟の門前に門番が立っていた。一人の男がやって来て、入れてくれ、と言うが、門番は今はダメだという。

 その屈強そうな門番を見る限り、力づくでは門をくぐることはできそうにない。

 男は待つことにした。門番は男に腰掛けを貸してくれ、門の脇でなら待っていてもいいと言った。

 男は何年も待った。時には門番に賄賂を渡すこともあったが、門番は頑なにまだだめだ、と門をくぐらせてはくれない。

 男はさらに待ち続けた。やがて、男のいのちも尽きようとしていた。

 門番に対して、今まで持つことのなかった問いが浮かんだ。

「この長い年月のあいだ、どうして私以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかったのです?」

門番は答えた。

「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さあ、もうおれは行く。ここを閉めるぞ」

 話はこれでおしまいですが、疑問は山ほどあります。

・そもそも掟の門とは何なのか?

・掟の門をくぐることは何を意味するのか?掟を破ること?それとも掟に従うこと?

・門番とは一体何者だったのか?

 

 「掟」という言葉は「ルール」や「規則」と比べてより狭い範囲で、私的な決まりごと、というニュアンスを持っています。掟とは、男が自分自身に課したものであり、門番だって実は男自身が呼び出したものなのでしょう。

 また、そのふるまいからして、門番に敵意はなく、義務に従っているだけみたいです。『城』や『審判』にも共通する「職業=人」という世界を踏襲しているのでしょう。この話は『審判』の中でも使われています。どちらが先なのかは覚えてません...

 

 この物語のひとつの重要なポイントは、門番が腰掛けを貸してくれたところにあると思います。この行動が門番の「義務」であるのか、それとも「好意」であるのかによって、この寓話の意味するところは大きく変わるでしょう。そしてこの腰掛けは、心から満足していない現状を示唆しているのです。

 

 掟の門の先に何があるかはわかりません。大半の人が、物語中の男のように、与えられた腰掛けで座り続け、いつの間にか一生を終えてしまいます。

 それはそれで幸せなことかもしれません。仮に男が無理にでも掟の門をくぐったとしても、さらに強そうな門番が待っている、という可能性もあります。それでもどうせなら、門をくぐる努力をするべきだと思います。なんせ、自分ひとりのために掟の門は開かれている訳なのだから。