あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

人間とは何か(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック)

  映画「ブレードランナー」の原作である、フィリップ・K・ディックの長編SF小説

 まず特筆すべきなのは、そのタイトルの素晴らしさ!ディック作品では「流れよわが涙、と警官は言った」と並ぶ良タイトルだと勝手に思っています。SF作品、その中でも海外の作品はタイトルだけでも読みたくなるような小説が多いですね。

 

 

 この物語は最終世界大戦(文庫本の裏表紙では第三次世界大戦と書いてあります)後、放射能によって多くの動物が絶滅し、本物の動物を飼っていることが一種のステータスとなった時代です。

 

 この作品で登場するアンドロイドは「ネクサス6型」という名前の人間型ロボットです。外観はまさに人間そのもので、普通の人間とは区別がつきません。また、道徳的かどうかは別として、並の人間以上の知能を持っています。

 

 では人間とアンドロイドを見分ける方法はあるのか?アンドロイドは「生き物に共感を持たない」という特徴を持っていて、「フォークト=カンプフ検査」というカウンセリングのような検査方法で見分けるのです。被験者の目に特殊なレーザー光を当て、生き物を連想させるような質問を繰り返し、その反応を見るというなかなか手間のかかるやり方です。その質問というのもなかなか変わったもので、

「きみには坊やがいる。その子が、きみに蝶のコレクションと殺虫瓶を見せた」

「きみはすわってテレビを見ている」リックはつづけた。「とつぜん、手首をスズメバチが這っているのに気がついた」

などという会話を繰り返し反応を探るのです。

 

 アンドロイドを始末する賞金かせぎリック・デッカードは、元々は本物の羊を飼っていました。しかし破傷風で死んでしまったため、近所の住民にはバレないように電気羊を代わりに飼っていました。リック自身、電気羊と本物の羊の表面的な違いははっきりとはわからないが、とにかく本物の珍しい動物を欲しがっていました。

 

 そこに、8人のアンドロイドが逃亡し、リックの上司にあたる賞金かせぎが返り討ちにあい重症との知らせが...懸賞金で再び本物の動物を手に入れるためにもリックはアンドロイドの討伐に向かいます。

 

 しかし、標的のアンドロイド達は社会に馴染んでおり、普通の人間と変わらず働いています。

 中にはオペラ歌手のヒロイン役を演じている女性アンドロイドまでいます。モーチャルト「魔笛」のパミーナ役を演じるアンドロイド、ルーバ・ラフトです。仮にも彼女は逃亡中なはずですが...

 

 どうしても賞金を手にしたいリックもリックで、オペラの幕間中にそのルーバ・ラフトの楽屋に押しかけます。早速フォークト・カンプフ検査でアンドロイドかどうかを判別しようとすれば「あなたこそアンドロイドじゃないの?」なんて会話も。

 

 リックは”人間らしい”アンドロイドに対して愛情にも似た感情を持ったり、異常なまでに冷徹に任務をこなす”人間らしくない”人間に怒りを感じたりするうちに、人間とアンドロイドの違いは何か、はたして自分は本当に人間なのかという疑問すら感じてしまいます。

 

 この小説の主幹はリック・デッカードのアンドロイド狩りですが、情調オルガン、無限鍵、ホバーカーなどという独特な道具の数々や、人々に強く支持されているマーサー教と共感ボックス、放射能の被害を受けているかどうかで適格者(レギュラー)と特殊者(スペシャル)とに差別されていることなど、たくさんの要素が絡んでいることで、この物語特有の退廃的な世界が描かれています。

 

 最後にディック作品の重要なテーマである、「本物と偽物」について。人間とアンドロイドを分けるものは一体何なのか?その境界線すら危うい状態で、どうしてアンドロイドを始末する必要があるのでしょうか?ディックにとって「本物と偽物」は何が違うのだろう。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を含めディック作品は読者にそれを問いかけているのだと思います。

 必ずしも本物である必要はなく、電気羊には電気羊の良さがあると思っています。偽物を見ながらその奥にある本物を想像するのも楽しいことですから。