あるいは本でいっぱいの海

Or All the Seas With Books

主に書評ブログ。本、音楽、映画について書きます。

転がる石のように(『堕落論』坂口安吾)

 『堕落論』(集英社文庫)の表題作。裏表紙の紹介では

生きよ、墜ちよ。生の現実から目をそむけず、肯定せよ。堕ちることのほかに真に人間を救い得る道はない、と説く。

と書かれています。

 書店には、のんびり、あるがままに、とかフリーランスでもやっていけるよう自己啓発していきましょうといった、いわゆる啓発本や生き方についての本は多く目にしますが、「堕落する必要がある」なんて主張する本などめったにないのではないでしょうか。

 

 この作品が書かれた当時の社会の様子や日本文学の情勢についてはあまり詳しくありません。この作品で描かれる戦後の日本の状況は、私が持っていたイメージとは違いました。私がよく読んでいた小松左京手塚治虫のエッセイや漫画では、戦争が終わり初めて自由を手にし、希望で満ち溢れていた、ということが書かれていたからです。

 たしかに「堕落論」においてもこんな記述があります。

終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由ではあり得ない。

 

悲観的で、達観しています。


 全文を通して「堕落」というテーマに沿って書いているというよりかは、筆者が当時の世の中に対する自分の主張を書きたい放題書いている、という印象を受けました。それでもこの作品に秘められた力強さ、そして筆者の主張がひしひしと伝わってきました。

 それにしてもなぜ「堕落」という言葉を選んだのでしょうか。ありのまま、自然体などのポジティブな意味を持つ言葉ではだめだったのか。念のため「堕落」を辞書で調べてみましたが、やはりネガティブな意味しか持っていないようです。

 

  堕落の意味がどうであれ、やはり落ち抜くためにも勇気がいるものですね。たしかに、良くも悪くも自分の中である程度のところで制御が働くのはわかります。 しかし、一度正しく堕ちきることによって、気づかないうちに縛られていた過去の思想や固定概念から抜け出し、本当の自分自身を見つけることができる、と筆者は主張しています。

 

 読んでいてとても面白かったのですが、頭の中でうまくまとまらない...きっと本作品で使われる「堕落」という言葉の意味が完全には読み取れていないのだと思います。

続編である「続堕落論」では「堕落」についてもう少し詳しい補足がなされていました。「続堕落論」についても、そのうちじっくり考えてみたいと思います。